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〈生活防災〉から〈防災広報〉の可能性を展望する



はじめに


「市⺠」(定住人口と関係人口を含む)への、今の時代に即した情報受発信は、単にInformation Transmission(情報伝達)であるのみならず、Communication(関係構築)であるべきというのが、私たち公共広報コミュニケーション研究会の基本テーマです。自然災害大国であるわが国における災害に対する「啓発-防災広報-の重要性」に鑑みると、これは全国どの地域においても、自治体-市民のコミュニケーションの中でもっとも実際的で代表的なものであろうというのが、防災をテーマとして取り組む契機になっています。


 私事に触れ恐縮ですが、2011年の東日本大震災の際は都心で仕事をしていて帰宅難民と化しました。コンビニから食べ物と電池が消え、携帯電話の充電が減っていくのを心細く眺めていました。夜になるにつれて冷え込みが厳しくなり寒さと空腹に震えましたが、何より途方に暮れたのは情報不足だったことが思い出されます。

また私の実家は福島なのですが、震災と原発事故で錯綜した事態の中、家族との思いのすれ違いが度々起こり困惑しました。同じようなことが現在NHKで放映中の朝ドラ「おはようモネ」で宮城県出身の主人公の体験として描かれていましたが、被災した時に置かれていた状況の差異が家族や友人との関係性を変質させてしまうということは、めずらしいことではなかったようです。直接命に関わることではないが故に、あまり語られることがないものの、こうした心の問題は重く残り続け、消えるということがありません。

 しかしながら震災という強烈な経験を経て直後こそ、歩行訓練にいそしんだり、備蓄や連絡体制を整えたりしていましたが、時間の経過とともに、ご多聞に漏れず「喉元過ぎれば-」になっている……のが実情でもあります。


 こうしたメンバー各個の体験も踏まえ、防災というテーマをめぐる研究会内でのディスカッションでは、主に2つの点について議論が集中していました。

1.情報発信に関する専門家である我々が、防災というきわめて技術性の高いエキスパートの分野に対し、寄与し得るところがあるのだろうかというテーマ設定上の問い

2.普段の情報発信を緊急の情報発信にどう接続していけるかというテクニカルな問い


 このような試行錯誤的な状況において、矢守教授の著作と接することで、私たちは2つの問いに対する重要な示唆を受けることになりました。そこで提唱される〈生活防災〉における重要な視点「ふだん」→「まさか」は、私たちのテーゼである〈普段のコミュニケーション構築による緊急時への備え〉と軌を一にし、その必要性を裏づけてくれています。

こうした知見や気づきなどを、教授が〈生活防災〉の主人公という「日常の行政に携わる第一線の自治体職員」の方々と共有したいと考え、今回オンライン・セミナーを開催することとし、セミナーにおける基調講演とパネルディスカッションへの参加をお願いし、快くお引き受けをいただきました。

今回の公共広報コミュニケーションマガジン特別号では、防災特集第二弾として、矢守教授の「〈生活防災〉のすすめ」の内容を引用し、その中心的概念についてご紹介したいと思います。


※矢守克也 (2011). 増補版<生活防災>のすすめ 東日本大震災と日本社会 ナカニシヤ出版. から引用しております。


〈生活防災〉とは

〈生活防災〉の起点

矢守教授が提唱する〈生活防災〉とは「生活まるごとにおける防災、言い換えれば、福祉、環境、教育といった他の生活領域と引き離さない防災」のことですが、同書では、こうした考えに至った問題意識が次のように表現されています。

専門家の眼鏡に適うだけの理想〈最適化〉を目指すアプローチは、かえって、「そん   な難しいことをしなくてはいけないのなら、もう防災のことはあきらめた、運を天に任せる」といったあきらめの態度すら生じさせかねない。(29p)

これまでの防災が「理想的なゴール地点(最適化)を目指す」ことで突き当たっている諸課題に対応するためには「現実的なスタート地点(それぞれの事情)から入る防災への転換」が必要なのだといいます。

-あたりまえのことだが-防災は、人びとの生活における重要な要素・側面ではあるが、あくまで、多くの要素・側面の1つに過ぎないという事実である。防災は、経済(家計)、教育(子育て)、環境(ゴミ出し)、福祉(介護)、娯楽(花見)といった種々の要素・側面が混然一体となった生活まるごとの中に混融しているのである。(29p)

こうした視線の延長線上に、防災における最大の壁が見え始めてきます。それは皆さん方、自治体担当者にとってきわめて馴染みの深い状況なのではないでしょうか。

そもそも、防災の営みが進捗しない最大の要因は、「他のことで精一杯」というしばしば耳にするフレーズに集約されているように思える。「うちは、年寄りの介護で精一杯、来るかどうかもわからない地震のことなんて……」、「うちの町では、ゴミ問題が先決……」といった具合である。つまり、家庭においても行政機関においても、防災と他の生活領域、他の行政分野との間のトレード・オフ(コンフリクト)が、防災を阻む最大の壁として立ちはだかっているわけである。(29p)

▼「土手の花見」

〈生活防災〉を説明するイントロダクションとして、同書ではまず「土手の花見」の挿話が語られます。春の花見が「増水時期を前に必要な土手のメンテナンスを、大勢の人間による踏み固め、あるいは、危険箇所の発見という形で、ごく自然に、かつ、楽しみながら実現しようというアイデア」というストーリーです。

ここで注目したいのは、この工夫が、土手のメンテナンスという防災上の活動と、花見という別の活動、しかも、人びとが進んで参加しようと考える活動とを巧みに重合させている点である。「土手の花見」は、防災という社会的活動を成功させるためには、防災を他の諸活動から孤立させることなく、防災とそれらとを上手に連携させる必要があることを示唆しているように思える。(27p。下線引用者)

そして、前述した「防災の最大の壁」に関して、こう述べます。

他の生活領域、行政分野とのトレード・オフに突き当たって、私たちは、あらためて「土手の花見」の先見性を知ることになる。すなわち「土手の花見」は、ここで言うトレード・オフを前提にしてその制約下で防災の最適化を図ろうとするのではなく、トレード・オフ関係そのものを解消する方向性を示しているのだ。(29p)

だからこそ「生活まるごとにおける防災、言い換えれば、他の諸領域と引き離さない防災をこそ追求すべき」なのだと矢守教授はいいます。


▼5つのエッセンス

同書では、数々の事例を紹介する中から、〈生活防災〉のエッセンスとして5項目を抽出しています。

1.「ふだんの生活」

災害時、緊急時のみではなく、日常生活と一体となった活動としてとらえることが必要

2.「みんなで(コミュニティで)」

〈生活防災〉のほとんどは多くの人びととの共同作業として実現される

3.「繰り返し(毎日、毎週、毎月、毎年)」

安定的に繰り返されている行事やイベントに防災・減災を組み入れる。防災・減災そのものの習慣化を促す

4.「一石二鳥」

“ためだけ”にするのではなく、むしろ防災・減災は「おまけ」ぐらいに思わないと

5.「ご当地主義」

「ふだんの生活」は時代・地域により異なるので、「いま・ここで」にフィットする必要性


私たちの考える「防災広報」においても、これら5つのエッセンスの要点を踏まえ、情報受発信の実践においてはコンテンツのテーマ設定に活かす必要があると考えています。


災害情報における新たな潮流

同書第3章「災害リスク・コミュニケーションの新しいかたち」では、〈災害リスクと情報〉という本研究会のメインテーマと直接的に関連する内容に触れられています。

言うまでもなく「災害と情報、あるいは、防災と情報は、理論的にも実践的にも不可分の関係にある」わけですが、近年になって登場してきた新しいコミュニケーション様式に注目して、災害リスク・コミュニケーションについて論じています。


▼「ニュートラルなリスク」と「アクティブなリスク」

矢守教授は「リスク」という語を使うにあたって、「ニュートラルなリスク」と「アクティブなリスク」を区別しています。


「ニュートラルなリスク」とは

当事者(人間・社会)の営みとは独立に存在すると想定されるハザードそのものをリスクと呼ぶ場合である。典型的には、ハザードの客観的危険性(たとえば、人口10万人あたりの水害死亡率、今後30年間における××地震発生確率といった危険度データ)をもって、リスクとみなす(63p)

これに対し、「アクティブなリスク」とは

任意のハザードは、それに対して、何らかのアクション(観測・予測・制御・事前対応等)をもって関与できる人びとにとっては、-どのようにリスクをテイクするか(あるいは、しないか)を選択可能だという意味で-「(アクティブな)リスク」として現れる(64p)

のであり、人びとが「リスク、リスク」と言っているのは、「単なるdangerである」と指摘します。

リスクとは、対象(自然)の側に備わった特性ではなく、それと対峙する当事者(人間・社会)の側が構成する事象(64p)

つまり「リスク」とは、たんなる「アブナさ」ではなく、主体的にコントロールしようとする意志を前提として使う言葉だというわけです。


一般的に「リスク」という語でイメージしがちな「ニュートラルなリスク」と従来の災害情報とは親和的であったと矢守教授は言います。

もう少し踏み込んで言えば、従来の災害情報は「ニュートラルなリスク」の伝達とほとんど同義(64p)

でした。そして従来の災害情報が「一方向的伝達」「数値情報(が多い)」「総体的情報」という3つの特徴と対比し、「アクティブなリスク」(つまりリスクマネジメントが可能な取り組み)に必要な「災害リスク・コミュニケーションの新しいかたちを模索する動き」(=トレンド)を、「個別化」、「主体化」、「可視化」、「日常化」の4つのキーワードで整理しています。


▼4つのキーワード

  1. 個別化:「わたし(わが家)はどうなるのか」を示す災害情報

  2. 主体化:災害情報を住民自らが生成すること、あるいは少なくとも生成の一翼を担うこと

  3. 可視化:数値情報と対照するものとしての「地図」「写真」「動画」等

  4. 日常化:人びとの日常性との接点を保持しながら生成・提供しようとするトレンド

前述した〈生活防災〉の5つのエッセンスと併せて、この4つのキーワードは私たちの〈防災広報〉を構築するためのもう一軸であると考えることが出来そうです。


▼〈生活防災〉の考え方を活かした〈防災広報〉ツール構築における2軸

終わりに

同書を読み終えて、おそらくは、矢守教授が幾つもの震災・災害に際しての具体的な行動の中で、課題に向き合ってきた研究者としての思索の遍歴を経てたどり着いたのが、この〈生活防災〉なのであろうと感じました。

「生活+防災」けっして難しくはない単語の組み合わせによるテクニカルタームですが、ひと目で分かりやすく、かつ説かれて腑に落ちる。そうした深さと広がりを持つ、きわめて実用的な概念です。

「土手の花見」の引用部で下線を引いた「防災という社会的活動」という目線は、防災に携わっている人には当たり前のことなのかも知れませんが、私のような門外漢にとって、それを読んだときに、目からウロコの思いでした。

防災は自然災害という一過性の現象への対応ではなく、継続的な社会的活動の一環という捉え方・認識に立つならば、それに関わる情報の受発信を〈防災広報〉として、市民に対しどういう言葉で語りかけるべきか、どういう場と機会で情報を発信していくべきかを考えることも、防災における重要な取り組みであるとの確信を強くしました。


※公共広報コミュニケーション協会では、広報活動の中でもオンライン(ネット・SNS等)による広報活動を強く意識した啓蒙活動を行っています。平常時に市町村民とコミュニケーションを重ね、非常時に情報のライフラインを目指す、といった形でSNS等を活用する研究を進めています。

先日ご案内させていただいた防災アンケートでございますが、

Google Formからご回答いただけるようにご回答期日を延長させていただきました。

みなさまに展開させていただくご意見・データ等を確かなものにするため、回答へのご協力をよろしくお願いいたします。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSe8LxwzGNQmwu9ZohW_PYGUF9_JuxR3P7RTqVPodriFX3Hggw/viewform?usp=sf_link


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